「間」のこと
最近、フルーツサンドにはまっています。休日ともなると、いそいそとパン屋さんに出かけます。やわらかなパンに挟まれたバタークリームの中から、キウイフルーツやイチゴ、アプリコットが顔を出している姿を目にすると、たまらず買い求めてしまいます。以前はハンバーガーに夢中だったことを想うと、食い意地が張っている自分に、今更ながら驚くばかりです。
ところで、コロナウイルス感染症の対応についても、マスクの着用、手洗いの励行とともに人と人との距離を保つことが求められてきました。密集しないように、相手との間に2メートル以上の距離を設け、スーパーマーケットのレジに並ぶ時にも前の人に近づきすぎないように注意するなど、感染防止への努力が続けられています。
当初は、この間隔のことを「ソーシャルディスタンス(社会的距離)」と表現していましたが、現在ではWHO(世界保健機関)が、「身体的、物理的距離の確保」とともに「人と人のつながりも保ってほしい」という願いを込めて、「フィジカル・ディスタンシング」と言い換えるよう推奨しているそうです。コロナ禍によって、次第に日々の生活や職場、娯楽施設などのさまざまな場面での制限が設けられ、社会生活を営む上で大切な人と人との関係や会合の在り方にも自粛が求められるなど、大きな社会変化をもたらしていることに憂慮した結果と思われます。
元来、人と人との関係あるいは間柄は、「人間(にんげん)」を形作る重要な要素とされてきました。相手との関係を構築するには、コミュニケーションが欠かせませんし、時間も大事です。「間(ま)が大事」と言われる所以です。およそ我が国の伝統芸能には、「間」「呼吸」「拍子」「沈黙」などと言われる絶妙のタイミングやリズムを大事にされてきたことも思い起こされます。
また、「人間万事塞翁が馬」、「人間至る処青山あり」などの故事にも、「人間(じんかん)」すなわち「世間」「世の中」を表すことばとしても使われるほどです。間があって、はじめて体を成すことの言い伝え。
それぞれの故事に習えば、『「世の中」に起きる悪いことも良いことも予期できず、それに振り回されてはならない。』『「世の中」のどこで死んでも、骨を埋める場所ぐらいはある。故郷だけが墳墓の地ではないのだから、大望を達するために郷里を出て大いに活動すべきである。』などの意味するところを、サンドウィッチとともに噛みしめる毎日です。