コラム
2023年4月12日
応援の心得
「ファンというのは、強いときも、弱いときも応援できるのがホントとチガウか?」ぽつり、しかし強めの口調で彼は言いました。10数年前のことです。中学校2年生の男子生徒でした。
桜は例年になく早く咲き、4月には進級を控えた頃です。ちょうど今年のように春の巡りは早くやってきました。当時、私は不登校を選択した子どもたちと過ごす日々を送っていて、教室の外は桜が満開でした。
教室で、ひいきのプロ野球のチームについて話題になったときのことです。私は何気なく「応援していて、そのチームの弱さが出たときに、見ていられなくてチャンネルを変えてしまうことがある」と口にしました。その後しばらくして、彼はこう言ったのです。
ぐうの音も出ません。もごもごと言い訳がましいことばを出しはしたものの、言えば言うほど滑っていきます。
不登校を選んでここにいる自分のよいときもそうでないときも、あなたはきちんと寄り添ってくれるのかと、言外に問われた気がしました。
子どもは、年齢の多少にかかわらず、よくわかっているのですなあ。また、その子としての感性がございます。それは、おおむね正しく味わい豊かです。子どもとのつきあいは教えられることも多くて、反省もさせられて、なかなかのものというのが私の実感です。
件の彼については、私は「一(イチ)ファン」として応援を続けております。
あれから、長い時を経ました。これまで心にしまっていたことですが、このような形でささやかに文章として表現してしまいました。
多分、桜の美しさとWBCを楽しみすぎたからに違いありません。